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改めて「folk product」の活動について


folk productという活動をはじめて、早3年弱。

今更ですが、folk productをあえて一言で言い表すと「無理のないモノづくり」、または言い換えると「理のあるモノづくり」を目指したいです。

様々な条件のなかで「理(ことわり)」を見極めて、自然と生まれてくることを一番に大切にしているつもりです。つもり....

ただ、そんなことを思いながらもついつい自分都合でモノを考えてしまい、色々と「無理」を掛けてしまっているのでは?と立ち止まることも多々あり....。(作り手の方に無理させてしまっているのでは....、素材的にこの作りは無理を掛けてしまってはいないのか....、使い手は本当にこれを使ってくれるのかな....などなど)

私自身も20代はモノづくりの作り手(職人)として生きてきて、今では自分の手を動かしてモノを作ることはしていないが、今でも「モノづくり」をしていると思っているし感じている。そして「モノ」はやっぱり好きです。

ただ、「モノ」が生み出される環境が年々どんどん大変な状況に追い込まれている

それは、一般的な「市場」としてモノがありすぎて溢れてきている状態になり、そしてモノが売れなくなる」、それに伴って「モノをつくるうえでの環境が厳しくなってくる。

そのように自分自身が感じ、今の時代「モノをつくる」ことが本当に意味のあることなのか?とも感じました。

しかし、自分の中に改めて総合的に考えたのは「モノ」がこれまであまりにも「お金を生み出すための道具」として利用され過ぎたのでは?と。

そんなに皆んなが必要としていない状況にも関わらず「モノを売ってお金を生み出そう」し過ぎたために、無理が掛かってしまい、必要以上にモノが溢れてしまったのではと。

また、作り手の観点からも安いコストで大量に作ることを迫られたことで、無理が掛かってしまい質の低いモノを作り続けてこなければいけなかったために、作り手を離れる人が多くいたのも事実です。

そんな状況のもとで、私たちにような「モノ」を作り、売っていく職業の人々は、何を大切にして行動していかなければならないのかを肝に銘じて生きていかなければな!と、最近は特にそう思っています。

「モノ」は形残っていき、後世へ伝わっていく「伝達」だとも感じます。

私も先人が作ってくれた素晴らしい品(民芸など)を見て、感動し、惚れ込み、自分でも作ってみたいと思い、今に至るのですから、後世の方へもそのように思ってもらえるようなモノを作りたいと思っています。

「モノ」は嘘つかない。そして間違いなく作った人の「写し鏡」とも思っています。

最後に先日、朝日新聞web版で読んだ音楽家の細野晴臣さんのインタビューで書かれていた一部にて

「いい音楽というのは裏の情報が豊かなんですよね。その音楽が生まれたバックボーンやルーツを、この年になるとより一層強く感じるようになる。自分のオリジナルなんてどうでもいいと思うほどに。」

この言葉が心に沁みました.....

記事webサイト:http://www.asahi.com/and_w/articles/SDI2017021389971.html

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